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もう限界!「働く」と「暮らす」が完全分離した会社員人生の闇

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こんにちはうさよしです。

 

私の夫はこの度会社員の肩書きを捨て、フリーランスとなりました。そこにはいろんな理由があるのですが、大きな理由は以下です。 

サラリーマンは「働く」ことと「暮らす」ことが分離し過ぎていて、いくら「働い」ても「暮らし」に充実感がない。

 

このことに限界を感じた夫は、「働く」と「暮らす」がなるべくイコールになる人生を目指すべく、脱サラを決意したのでした。

 

サラリーマンとしての生き方に疑問を感じている方、もっと自由な生き方はないのか?と悩んでいる方に、この記事が参考になれば嬉しいです。

 

 

「働く」と「暮らす」が完全分離したサラリーマンの生き方

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今の日本では、多くの人が会社員として組織に所属しています。つまり、自分の時間を提供し、与えられた役割をこなすことで、その報酬として賃金を得ていますよね。

この仕組みは、高度経済成長期に作られたいわゆる「被雇用型労働」と言われ、雇用主と従事者がいることで成り立っています。

従事者(=いわゆるサラリーマン)は、会社を経営する雇用主に自分の時間を提供して、「私を好きに使っていいですよ」と契約することで、雇用主に守られながら仕事をしているわけですね。

つまり極端にいうと「時間とかやりたいこととか、そういう自由を会社に差し出して、その対価として給料をもらう」ということになります。

 

日本の法律では従事員は本当に手厚く守られていまして、この雇用契約はそう簡単に解除することはできませんから、従事員から見たら安定した働き方であることは間違いありません。

でも、先に書いたように、「自由を提供」しているわけですから、自分の時間をどう使うかとか、自分のやりたいことをどう実現するかとか、そういうことはまあ我慢しなさいよ、と暗黙の了解が出来上がっているわけです。

となると、従事者でいる以上、従事している時間帯は会社のための時間なので、従事している時間帯以外、つまり仕事のあとの夜の時間とか休みの日がやっと自分の時間、つまり自分の「暮らし」であって、ここでようやくを自分のやりたいことが出来る、というわけですね。

 

つまり言い換えれば、「従事外の時間帯(=暮らし)を楽しむために従事(=労働)」をするという構図ですから、そこに暮らしと労働の関連性は限りなく薄く、

結果として「働く」と「暮らし」は切り離され、「働く」ことは「暮らし」のための単なる我慢の時間、となってしまうわけです。

 

自分の人生はどこにあるのか?サラリーマンの憂鬱

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長々と難しい話をたくさんしてきましたが、

要するに多くのサラリーマンは「働く」ことと「暮らす」ことが完全に分離している、ということです。

ですが、二つが分離していることが必ずしも悪いというわけではなく、大切なのはそのバランスです。

例えば自分の人生を10とした時に、働くが3で暮らすが7なら、そりゃあ万々歳でしょう。 働くが5で暮らすが5でも、まあ納得感はありますよね。

でも実際はどうでしょう。

多くの会社は基本的に週休2日ですし、定時は6時ごろとは言え残業もあるし飲み会もある。そもそも通勤時間もいれたら平日に自分の時間をバッチリ取れる人って少ない。

そう考えると、働くと暮らすの割合って5:2、トータルを10に直すと7:3くらいなんですよね。
これだと、せっかく自分に与えられた3という暮らしの時間は、仕事の疲れを癒したりとか、暮らすために必要な家事とかそのほか諸々のやらなければいけないことに消えて、結局自分のやりたいことをする時間って本当に少ない。


サラリーマンの人生って、限りなく仕事がメインになってしまっていて、そして仕事は「雇用者から与えられた役割をこなす従事時間」なわけですから、そこに自分らしさとか自己実現とか、そういうものはあんまりないわけです。

そりゃストレスもたまるし、何のために働いてるんだ?ととなりますわな。

 

「暮らし」を「働く」に変える、スモールビジネスという考え方

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私の夫は、この「働くと暮らしが完全分離したサラリーマンの人生」に幸せを感じられなくなり、会社を辞めました。
そんな夫、もとい私達夫婦が目指すのは、

「暮らし」をそのまま「働く」に変えていく生き方です。


もともと日本では第一次産業と言われる農業とか林業といった、自身の生活に限りなく近い事柄を仕事にしていました。

生業(なりわい)」という言葉がまさに当てはまりますが、自分の暮らしがそのまま仕事になっているケースの具体例です。


この考え方が、サラリーマン人生に限界を感じた若者の間でまた再燃しています。
農業や漁業を始めるために田舎に移住する若者もそうだし、小学生のなりたい職業第1位になったユーチューバーだって、自分の生活や特技をそのまま仕事にして「生業」にしている例です。


これらの例は少し極端かもしれませんが、もっと小さな規模でも「生業」を選ぶ若者は増えています。

例えば、東京に出てきた若者が、地元を元気にしたいと願い、地元の食材をおしゃれにブランディングし、それを都心に売り込んでいる例。

また他には、スケートボードが大好きな若者が、スケボー文化を広めるために自分のスケボー活動をブログにまとめ、世界に発信している例。

彼らのビジネスは、決して大きな利益を生むものではないかもしれませんが、でもどれも自分の好きなことや興味のあることを誰にも雇用されることなくそのままビジネスにしています。

つまり、「働く」と「暮らし」が完全に連動しているのです。

そうなると、「働く」ことへの満足度、充実感はサラリーマンの比ではありません。たとえサラリーマンと比べると稼げるお金が少なかったとしても、お金という対価以外の充実感をたくさん得ることができます。


高度経済成長で成熟仕切ったサラリーマン的労働に疲弊した人や、お金以外の幸せの尺度に気がついた広い視野を持った若者が、この「暮らしながら働く」という生き方を徐々に選び始めているのです。

 

まとめ: 今こそ、「働き」ながら「暮らす」へのパラダイム転換を。

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いかがでしたでしょうか。経済が成熟しきった今の日本で、従来当たり前とされてきたサラリーマン的な「働く」と「暮らす」が分離した人生への閉塞感や限界を感じている方は多いのではないでしょうか。

そんな方にこそ、「暮らす」ことそのものを、「働く」にしていくという考え方を知ってほしいと感じています。

その方法はいくらでもあります。このブログでも、おいおいお話していけたらと思いますが、皆さんも是非、ご自身の「暮らし」を改めて振り返り、何か「働く」に変えることは出来ないか?を考えてみて下さいね。

 

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