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人生とは、幸せのタネをまく旅である。人生を、世界を、自在に旅しよう。

ジョンヒョンが居なくなったSHINeeを応援するということ。

こんにちはうさよしです。
今回はいつもとちょっとテイストの違う記事を一つ。かなり長くなりますが、よければお付き合い下さい。

皆さんは、人気K popグループ「SHINee(シャイニー)」をご存知ですか。

このブログを読んでくださっている方の中には知らない方も多いかと思いますが、韓国や日本だけでなく、欧米や中東地域を含め世界中で大人気の、最高の5人組ボーイズグループです。

そんなSHINeeのメインボーカル・ジョンヒョンは、人気最高潮といってもいい絶頂期の去年の年末、うつ病で自らこの世を去りました。

 

そして今、ジョンヒョンが亡くなってから、もうすぐ半年が経とうとしています。

この半年間で、私の心もなんとか少しずつ整理され、4人体制となったSHINeeの初めてのカムバックも始まったことで、ようやく彼のことを記事に書けるくらいの精神状態になりました。

 

普段私達が空気のように消費している、たくさんの音楽、芸術、パフォーマンス。

完璧できらびやかな世界は、当たり前のように元からそこにあると思いがちですが、それらは全て、生身の人間が作り出した虚構なんですよね、当たり前だけど。

だから、脆いし、儚いし、当たり前な事なんてない。

 

芸術ってなんだろう、アイドルってなんだろう。人間が作る虚構の世界ってなんだろう。

この記事は、そんな想いを込めて、SHINeeやジョンヒョンを知らない方にも読んで頂けるような文章にしたつもりですので、どうぞお付き合い下さい。

 

  

魅力に引き戻された矢先の突然の訃報

 今年で結成10周年を迎えたSHINee。私はSHINeeを日本デビュー前から応援していたんですが、なんとなくここ数年間はあまり彼らの活動を追っていなかったんです。

けれど不思議なことに、ジョンヒョンが亡くなる数ヶ月前にまたぐいっとSHINeeに心を引き戻されて、そこからは食いいるように毎日彼らの作品を見ていました。

完成された映像・音楽世界の中に映っていたジョンヒョンは、私が知っている数年前の逞しくて「ザ・男の子!」な彼とはまるで別人で、か弱そうで心優しそうな、それはまるで瞳の濁りのない子犬のような存在に見えました。

「え、これがあのジョンヒョン?」というくらい、雰囲気が変わっていた。

 

そして、信じられないくらい、歌が上手くなっている。なんてこった。

元から持っている力強い歌声と天性のリズム感に、哀愁のあるとんでもない情感がプラスされている。これは大変だ。

もっと彼の歌を聴かなくては。もっとSHINeeの活動を追わなくては。よし、まずは2月の東京ドーム公演に応募しよう.....

 

そんなSHINeeづくしの楽しい毎日の矢先の、まさかすぎる訃報だったのです。

 

おとぎ話の主人公の死ではなかった 

ドラマの展開の一部のようなジョンヒョンの訃報

 私は、ジョンヒョン本人にお会いしたことはもちろんありません。彼の本当の姿を知ったこともないし、彼がどんな思いで命を絶ったかなんて想像することもできない。

こう言ったら生粋のジョンヒョンのファンの方に怒られるかも知れませんが、私の人生で、ジョンヒョンのことを考えない日の方が断然に多かった。

それなのに、彼の訃報はとんでもない衝撃をわたしに与えて来ました。

 

実は、ちょうどジョンヒョンの訃報と同じころ、私も実の祖母を亡くしたんです。

でも、身近な人間の死というのは、その人を生身の人間として認知しているから、その人のいいところもダメなところも、強さも弱さも、そして闘病していたのなら衰弱していくさまも知っているから、死を現実の出来事の延長線として捉えることが出来たんです。

だから、祖母の死は本当に悲しかったけれど、「悲しい現実というのは本当に起きるんだな」という、どこか冷静な気持ちで祖母の死や自分の悲しみを俯瞰することが出来たんです。

 

でも、同時期に亡くなったジョンヒョンはどうでしょう。

SHINeeというグループ、そしてジョンヒョンという人は、私や多くの人にとってその存在自体が完成されたアーティストであり芸術であり、希望そのものでした。

ジョンヒョンのダメなところや弱いところ、そして病気と闘っているさまも全く知らないところに、いきなり合成みたいに「ジョンヒョン死去」という言葉が飛び込んでくる。

完成されたパフォーマーとしての彼が、急に「亡くなりました」と言われても、彼の生身の人間的な一面を知らないからこそ、それすらも作られた世界の中の話のように思えた。

日々続々と飛び込んでくるジョンヒョンの死に関する生々し過ぎるニュースを聞いても、祭壇の中に飾られた彼の遺影を見ても、遺影の写真の中の笑顔が美しすぎて、「ドラマの撮影か何かじゃないか」と思ってしまうくらいだった。

 

この時の私は、ジョンヒョンが亡くなったという事実を、おとぎ話の中の出来事のように思っていて、全くもって現実味を感じることが出来なかったんです。

 

一気に現実に引き戻された出棺映像

 でも、そんな私のポカーンとした気持ちに大きなダメージを与えたのが、出棺の映像でした。

私にとって、どんな時でも輝くSHINeeだった5人が、無精髭を生やし喪服を着て、目に光はなく、人目も憚らず泣き、「喪主」というバッジをつけ、憔悴しきった顔でそれでも必死にご家族の肩を抱いている姿。

そして、5人のうち1人は棺桶に入れられ、男性数人がかりで霊柩車に運び込まれている姿。

私が知っている5人のイメージから最もかけ離れた哀れな姿になっている5人。

これを見た時に、そのあまりのショッキングな映像に私は呆然とし、そしてようやく強烈に「一人の人間・ジョンヒョンが亡くなった」ということを現実の出来事として捉えてしまったのです。

 

そしてそれは、ジョンヒョンが亡くなったという事実だけでなくて、今までSHINee5人が作り上げてきた「完璧なパフォーマーとしての彼ら」、「どんな時でも夢を与えてくれる希望の存在」というイメージまでも、一気にガラガラと壊していったのです。

姿を見るだけで元気にしてくれた、いつも完璧な「おとぎ話の中のSHINeeの五人」が、今変わり果てた姿で、全ての正気を吸い取られた無力な人間として画面の中にいる。

ジョンヒョンの死は、ジョンヒョンを奪い取っただけではなく、私がSHINeeに対して抱いていた夢とか希望とか、いや、SHINeeだけでなく、私があらゆるエンターテインメントに対して抱いていた夢とか希望とか、そういうものも一緒に奪い去ってしまったのです。


生傷が痛かった2月の東京ドーム

 そんな、大きなトラウマを負った私の元に、無残にも2月の東京ドーム公演のチケット当選のお知らせが来てしまいました。

でも、あまりにも哀れな5人の姿を目にした後、どんな気持ちでライブに行ったらいいのか、私にはわかりませんでした。

今まで一点の曇りもなくパフォーマンスを心から楽しめていたけれど、ジョンヒョンが亡くなってからは、そしてあの出棺の映像を見てからは、彼らの完璧すぎるパフォーマンスを見る事自体が、彼らが無理をしているようで痛々しく、とても非人道的なことをさせられているように思えてしまったのです。

もしかしたらこの声援自体が、彼らを追う目線自体が、彼らを苦しめているのではないか。

そう思うと、キラキラしたステージも、綺麗な衣装で華やかに踊る4人も、素直に楽しむことが出来そうにありませんでした。

 

そんな想いを抱えながら何とか向かった東京ドーム。

亡くなったジョンヒョンを感じさせる感動的な演出に、歯を食いしばってステージに立つ4人。人によっては「お葬式のようなライブだった」なんて批判している人もいたようですが、同志を亡くしてたったの2ヶ月という憔悴した状態で、5万人からの視線を浴びるということがどれだけエネルギーのいることなのか。

それを考えると、あのライブは間違いなくあの時出来る最良で最大限のパフォーマンスだったと思います。

でも、私は本当のことを言うと、まるで神様の声みたいに東京ドームに響くジョンヒョンの声も、4人が作り出す感動的な演出も、それらがあまりに美しすぎて、あのあまりに残酷な出棺の映像に映っていた人達と同一人物とは思えなかった。かといって、もちろん私が今まで知っている、完璧に輝いていたSHINeeの5人とも、全く違う。

「今、私は誰のライブに来ているんだろう、誰の歌声を聴いているんだろう」という、混乱。

そしてそれはきっと、私だけではなく遺された4人も同じで、綺麗な衣装を着て綺麗な舞台に立ってはいるものの、いつもの完璧なアイドルとしての姿はそこになく、しおらしく痛々しい、未だ暗闇の中にいる傷ついた男性4人にしか見えなかったのです。

まだまだ傷は生傷なのに、ジョンヒョンがいない中でも必死に完璧なパフォーマンスをしようともがく彼らの姿にちぐはぐ感を感じて、ライブをやり抜いた彼らを応援し続けたい気持ちはありつつも、「このままのSHINeeでは、もう私は今までと同じように応援することはできないかもしれない」と思ってしまいました。

 

そしてカムバック。そこで見たSHINeeの新しい姿

 そして、ジョンヒョンが亡くなって半年が経とうとしている今、SHINeeは4人体制となる初めてのアルバムを発表し、韓国でのカムバックを果たしました。

東京ドームで感じた違和感をずっと引きずっていた私は、このカムバックを心から応援出来るのか、彼らの作り出す世界に心から浸ることが出来るのか、とても不安でした。

でも、MVを見た時、その不安は一気に無くなってしまったのです。

 

youtu.be

今回のカムバックのリード曲、「Good evening」。

一糸乱れぬパフォーマンスや、男性的な力強さが良いとされるK pop界で、この曲をリード曲に選んだことは非常にチャレンジングな試みだったのではないかと思います。

ファルセットの多いのアンニュイなサビ。特に振り付けも無く、ただ椅子に座り空を見上げるという演出。一切カメラを見ず、お互い絡まることもない4人の視線。そして自由な表現やそれぞれの身体の作りや動きの違いを良しとするコンテンポラリーなダンスパフォーマンス。

まるでカメラに撮られているということを認識していないような、そして一緒に舞台に立っている他のメンバーをも認識していないかのように、それぞれが自由な動きや視線をする4人。

あまりに自由で人間的な身体の動きや視線の先に、4人は間違いなくジョンヒョンを見ているということを感じることが出来たし、私たちファンも、そんな4人のおかげで、姿の見えないジョンヒョンを強く強く感じたのです。

 

「Everybody」や「Sharlock」時代のSHINeeを含め、今まで多くのK popグループが極めてきた「メンバー全員で1つ。だれか1人でも欠けてはいけない」というような軍隊的なパフォーマンスではなく、それぞれが全く違う独立した「個」なのだということを感じさせるパフォーマンス。

それは、姿が見えないジョンヒョンが疎外されることなく、場所がどこでも、視線がどこにあろうと、姿があろうがなかろうが、パフォーマンスの空間に感じる5人のそれぞれの「個」こそがSHINeeそのものなのだと、強く感じさせるものでした。

だから、4人だから寂しいとか物足りないとか、そういうことを感じる事はありませんでした。なぜなら、人数の問題ではなく、姿があっても無くても、そこにいる一人一人こそが「SHINee」だから。

決して、5人で綺麗な三角形フォーメーションを描いて、一糸乱れぬダンスをすることが無くても、同じ辛さや思いを経験したその事実と、パフォーマンスの瞬間に同じことを想っているというその事実さえあれば、彼らはいつまででも「5人のSHINee」でいられるし、

もしこれから更に人数が減るようなことがあったとしても、姿があろうがなかろうが、同じ想いがある限りSHINeeは5人でい続けると感じたのです。

 

私は、あのショッキングな出棺映像のせいで、無理矢理SHINeeを「生身の人間」、しかも「どん底を味わっている悲惨な生身の人間」として捉えさせられてしまいました。

それはきっと、どんな時でも完璧を求められるK pop界では大きな痛手だったことと思います。

でも、SHINeeはそれをとんでもない方向に昇華し、パフォーマンスの一要素として完全にプラスに変えてきた。

ファンがSHINeeを生身の人間として捉えてしまったこと。見たいような見たくないような、不安な心で彼らのカムバックを見守っているということ。そんな感情を彼ら自身が感知し、それを逆手に取って、生身の人間が出来る最大限の「生々しいパフォーマンス」として、内面的でコンテンポラリーな表現にチャレンジしてきた。

私は、「Good evening」でカムバックしたSHINeeの姿を見て、東京ドームで感じた違和感のようなものは何も感じることなく、生身の人間である傷ついたSHINeeが、心の不安定さを抱えながらも前に進みたいと願う強さを最大限に表現しているさまに、等身大のパフォーマーとしての魅力を感じたのです。

 

もう、東京ドームで感じたあの違和感を感じることはない。なぜなら、カムバックステージに立っている彼らは、あのショッキングな映像に映っていた無力な彼らそのものであり、そんな彼らが今できる最大限のパフォーマンスと感じることができたからです。

このパフォーマンスの変化は、傷ついたメンバーとファンとの、最も意味のある交信だと思います。

もう、恐る恐るではなく、安心して、SHINeeを見守ることが出来る。

もう、背伸びも無理もしていない、一人一人の人間として、SHINeeを応援することが出来る。

深い深い悲しみを乗り越えようとしているSHINeeが、韓国アイドルではまだ誰も足を踏み入れていなかったであろう「自らの内面の表現」という新たなハードルに挑戦しようとしている姿を見て、SHINeeが他のグループとはレベルの違う境地に達したことを感じました。

ジョンヒョンが生きていたころのSHINeeとは全く別のベクトルで、SHINeeというグループが進化しようとしている。

大きなサナギが蝶になるべく脱皮をしている、その生々しいまでのもがきや気迫を感じ、「あ、これからのSHINeeは、とんでもないステージに向かうんだな」と感じることができたんです。

 

ジョンヒョンを、いつまでも恋しく想っていていい

 そんなわけで、4人のパフォーマンスがあまりにもチャレンジングで、それでいて等身大の彼らのままだったので、「SHINeeは4人になってしまった」という事実を無理やり受け入れなくてはいけないのではなく、4人と同じように、ジョンヒョンの姿が見えないことを寂しく感じ、いつまでも恋しく想っていいのだと感じることが出来ました。

「ジョンヒョンがいないことから、目を背けなくていい。4人であることに慣れなくていい。いつまでも恋しく想っていい。僕たちもそれは同じ気持ちだから。」

そんな4人からのメッセージは、ジョンヒョンの死を乗り越えようと力んでいたファンの肩の荷を下ろしてくれるメッセージでもあり、「無理もしない、余計な強がりもしない」ということが、これからのSHINeeとファンを繋ぐ大切なスローガンになるのだということを確信させてくれました。

だから私はこれからも、思う存分4人のSHINeeを見てジョンヒョンを思い出すし、「声が聴きたい、姿が見たい」と、恋しく想い続けることでしょう。遺された4人が、それを許してくれたから。


これからのSHINeeを応援するということ

現実と虚構が限りなく曖昧になった彼ら

 今まで大きな事務所トラブルやメンバー脱退もなく、どのK popグループよりも「現実的な」側面がほとんど見えなかった彼らに突然降りかかった、メンバーの死という計り知れない苦難。メンバーもファンも、あまりにもむごい現実を共に経験することになってしまいました。

それでも彼らはこれからも、現実世界からはかけ離れた「完璧なアーティスト、夢と希望を与えるパフォーマー」として活動し続けるのでしょう。

 

もしかしたら、私はこれからも、SHINeeの作られた完璧な姿を見るたびに、あの時の出棺の痛々しい姿を思い出し、疑心暗鬼になったり、心から楽しむことが出来なくなることがあるかもしれない。

でも、一つ間違いないのは、どんなに作られた姿でも、「その根本にいるのは生身の人間だ」ということがわかったということです。

生身の人間が必死にもがき必死に努力をして、いろんな犠牲や苦労をして自分を磨いて、やっと手に入れた完璧な姿で舞台に立っているということを私は知っている。

彼らが完璧なパフォーマンスをする度に、その裏にある人間的な苦しみや苦労を、僅かながら推し量ることが出来る。

 

SHINeeは、作られた虚構の完璧な姿と、苦悩する一青年としてのリアルな姿が、交互に現れたり折り重なって見えたり、そんな風に二つの境界が限りなく曖昧になっているグループへと進化しました。

そしてそれが、本人達にとってもファンにとっても、自然なことであるという、図らずもとても稀有なグループになったのではないかと思います。

さらには、彼ら自身も、弱さや脆さなどの人間的な感情を世間に曝け出すことが、昔よりは怖くなくなっていたらいいなと思います。

そうやって、生身の人間が「努力して」作り上げる虚構のパフォーマンスの世界を、私はこれからも全力で応援していきたいと思うんです。

 

人間が作り上げる芸術はパフォーマンスは、それがどんなに煌びやかで不動なものに見えても、所詮はただの作られた虚構です。

でも、その虚構の奥にあるパフォーマーの生身の人間の部分を感じることが出来たときに、完璧なパフォーマンスは更に深みを増し、私達を楽しませり、感動させたりしてくれる。

芸術とは、きっとそんなものなのだろうと思うんです。


ジョンヒョンは、そしてSHINeeは、そんな大切なことを私に教えてくれました。

私はこれからも、永遠に5人の「輝くSHINee」を全力で見守り続け、彼らが作り出す芸術を楽しませてもらいたいと思っています。

 

最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。